2000年春 関西紀行


《2000/3/3》
与野
 22:36
   ↓ 2247B〔京浜東北線〕 209系

 説明不要。

 22:21
東京
 23:43
   ↓ 375M 快速「ムーンライトながら」〔東海道本線〕 373系

 今回もギリギリでとれた、9号車12番A席。7〜9号車は、名古屋で切り離されるが、今回は、名古屋から関西線使うので問題なし。

 この日は、救済臨の運転はないので、小田原から大量乗車。もちろん、座れる人は、ほんの数人。

 今日はこの後、すぐに寝てしまったようである。珍しいことである。気づいたら、豊橋も過ぎて、笠寺とかそのあたりだった。

 豊橋−名古屋間は、2扉車&床寝客のため、いつものお決まりパターンで遅延発生。

《2000/3/4》
  6:05→6:10
名古屋

 ホームに出てみると結構寒い。とりあえず、待合室で朝食。

名古屋
  6:40
   ↓ 4307M〔関西本線〕 211系

 JR東海の211系と言えば、ロングシート車。転換クロスが主流になっている名古屋地区としては珍しい存在。とりあえず、乗らないわけにも行かないんで・・・。

  7:46
亀山
  8:00
   ↓ 237D〔関西本線〕 キハ120系

 こちらは、JR西日本自慢の低レベルローカル気動車。しかも、ロングシート車。まあ、セミクロスバージョンだとしても、1両あたり全部で4ボックスしかないんだけど(E231系といい勝負か)。

  8:24
柘植

 何もない柘植駅でとりあえず待つしかない。ホームに待合室こそあるものの、名古屋駅と違って暖房などは入っていない。そうそう、もうこの時点で天気は雨。

柘植
  8:59
   ↓ 2739M〔草津線〕 113系
  9:16
貴生川
  9:18
   ↓ 525D〔信楽高原鉄道〕 SKR205+SKR203

 今回の1つ目の目的である信楽高原鉄道。平成3年5月12日10時35分に正面衝突事故が起きた路線である。世界陶芸祭の旅客輸送の最中に起こった、JR西日本の快速乗り入れ列車(キハ58系3両編成)と、信楽高原鉄道の普通列車(SKR200型4両)の正面衝突により、乗客37名と信楽高原鉄道の職員5名の42名が死亡するという事故であった。
 今回の旅は、その現場と現在の信楽高原鉄道の安全対策を見に行くという目的も持っている。とりあえず、列車先頭部で、どんな路線であるかを丁寧に見て行く。もちろん、正面衝突など起こったら、一溜まりもない位置に乗っているわけである。
 貴生川を出る時点で、まず、信号機に×印が付いていることが目に付く。事故当時は、途中の小野谷信号所で列車交換を行っていたが、現在は、単一閉塞となり、途中での列車交換は行わなくなったために、信号機も使われなくなっている。そもそも、ここの信号機をJR西日本の亀山CTCセンターが管理していたことも、事故につながった一因であるのであるが。
 貴生川を出ると、列車は、すぐ登り勾配を行くことになる。湖こそ見られないが、小海線の松原湖付近のような雰囲気である。信楽「高原」鉄道であるのも納得できる。
 登り勾配が過ぎ、落ち着いてくると、信楽高原鉄道のほぼ中間地点の、小野谷信号所を通り過ぎる。ここも信号機には、×印が付いていて、信号機は使われないようになっている。ただし、交換用の線路は残っている。見た目はよくわからないが、ポイントについては鎖錠されていて、交換用の線路には入れないようになっているのであろう。
 そして、そこから少し行くと、右手に石碑が見えてくると、正面衝突事故現場である。確かに見通しが悪く、いきなり向こうから列車が出てきたりすれば、なす術はないであろう。
 そうこうしている間に、列車は、紫香楽宮跡に到着。貴生川から出て1つ目の駅である。次の勅旨ともども、第3セクター化以降に設置されたとわかる簡単な駅である。その次の雲井は、交換設備があった形跡の残る駅である。これは、国鉄信楽線の時代に使われていたことがあるのであろう。その次の玉桂寺前は、これまた、第3セクター化以降に設置された駅である。

  9:42
信楽

 そして、終点信楽に到着。ここは唯一の有人駅(貴生川はJRの管理駅)で、改札に450円をおいて出る。さて、信楽まで来た目的の1つは、「セーフティー信楽」という正面衝突事故により開設された、展示室があるからである。早速探してみた。が、なんと、盆栽で埋め尽くされているではないか。元の展示物は紅白幕で隠され、盆栽だらけになっている。「盆栽列車」の企画とともに、盆栽を売り出すのは結構だが、何もその場所に展示しなくても。
 とりあえず、気を取り直して、雨の中、車庫の方まで歩いてみる。SKR300型が留まっているのを写真に撮るためである。写真は撮れたが、天気も悪いしやることがない。次の発車まで、とりあえず待つ。列車の方はと言うと、その間に、入れ替えを行って、SKR200型2両から、SKR300型とSKR200型の編成に変わっていた。ここで少し解説すると、SKR200型が、第3セクター化当初に4両導入されたいわゆるレールバス型の車両である。その4両すべてをつないだ編成が正面衝突事故にあったわけである。結局、先頭側につながれていた2両を廃車とし、2両は残る。その後、2両では運営に支障が出るため、1両を補充している。この時点で、3両になったわけであるが、さらに1両が補充されることになり、それがSKR300型である。事故により、JRのキハ58よりも、SKR200型の方が車両の破壊状況がひどかったのは、低価格のレールバス型の車両であったためであり、その反省を生かして、SKR300型は、一般気動車のレベルの車両となっているのが特徴である。

信楽
 10:21
   ↓ 528D〔信楽高原鉄道〕 SKR301+SKR205
 10:30
紫香楽宮跡

 ここで、いったん列車を降りて、事故現場へと向かう。現場は、紫香楽宮跡駅から500m程度。国道沿いに歩いていけばいいので、わかりやすい。10時35分、現場到着。あの時間とちょうど一緒である。
 まずは、慰霊碑のところまで行ってみる。乗客37名と、その後に職員5名の名前が示されている。この中で、中島未晴くんは、当時2歳で、祖父母に連れられ初めて鉄道に乗ったときに、信楽高原鉄道の車内で事故にあったそうである。祖母だけが一命を取り留めたものの、長い入院とリハビリ生活を強いられたのである。
 現場付近で、11:00頃通過すると予想される信楽行きの列車を狙う。雨の中、その場で待つ。予想時刻になっても列車は現れない。結局、5分ほど遅れて列車が現れ、撮影して紫香楽宮跡駅に戻る。

紫香楽宮跡
 11:30
   ↓ 530D〔信楽高原鉄道〕 SKR301+SKR205

 紫香楽宮跡からの乗客は私一人。事故現場へ行ったり、写真を撮ったりしているのだから、乗務員からは嫌がられているだろう。また、帰りも一番先頭に乗車する。当然、事故現場も通過する。信楽高原鉄道の貴生川行きの列車は、SKR200型を先頭にして走っているわけであるから、乗車している部分は、当時、同じ型の車両に、5人の職員が乗っていて、完全に押し潰された場所である。
 ところで、経営の決して良好でない第3セクターの信楽高原鉄道は、この時は「盆栽列車」の企画をやっていた。車内には梅の花が飾ってあり、また、ウグイスの鳴き声が流れている。
 さて、そうしているうちに、無事、貴生川到着。

 11:43
貴生川
 11:47→11:50
   ↓ 2753M〔草津線〕 113系

 貴生川では、予定時刻になっても草津線の列車が現れない。どうやら、草津線が遅れているらしい。そのため、事故現場付近で撮影した信楽高原鉄道の列車も遅れていたようである。東海道本線の乗り継ぎが間に合うか心配しつつ、3分遅れの列車に乗車。結局、途中の交換待ち時間が減ることにより、草津到着時には、ほぼ遅れは回復。

 12:14
草津
 11:58→12:20
   ↓ 740T 快速〔東海道本線〕 113系

 無事に、草津に着いたと思ったら、東海道本線の列車が遅れているとの放送が。ここで、うまく長浜以降の列車に接続しないと、2時間とか待たされることになる。とりあえず、一番先に来た米原行きの快速に乗車。

 12:06→12:30
野洲
 12:26→12:31

 野洲で、乗り換えの案内があり、遅れている新快速との接続をとるとのこと。ここで、米原行きの予定より1本前の新快速米原行きに乗車。しかし、この新快速は、米原行きから、1本後の長浜行きに運用変更となり、米原までしか行ってくれないと思ったら、長浜まで行ってくれるようになった。これで、長浜からの乗り継ぎも大丈夫そうである。

   ↓ 3312M 新快速〔東海道本線→北陸本線〕 223系
 13:02→13:06
長浜
 13:03→13:08
   ↓ 147M〔北陸本線〕 419系

 無事に乗り継げて、食パンこと419系に乗車。この車両は、余剰になった電車寝台特急583系を、普通列車用に改造したものである。さて、長浜を出ると、周囲は一転して雪景色である。しかも、419系の交流モーターの音である。なんか、大阪近郊にいたのが一転して、北陸本線を走っている雰囲気に変わる。この寒々しい風景に、あの走行音は、なんか、寂しい北陸を思い出させる。

 13:27→13:32
近江塩津
 13:33→13:35
   ↓ 646M〔湖西線〕 419系

 ここからは、湖西線乗車。特に本数の少ない区間である。ただし、このタイミングは乗り継ぎがいい。また食パンにて、雪の湖北を行く。

 13:53→13:54
近江今津
 14:09
   ↓ 2341M 新快速〔湖西線→東海道本線→山陽本線〕 223系+211系

 ここからは、また一転して、最新鋭の223系である。近江今津付近は、まだ雪の中である。雪の中を行く223系も不思議なものである。しかも、湖西線の線路は、ほとんど高架線になっている。
 近江舞子付近までは、雪の中。近江舞子は、琵琶湖の海水浴場(ただしくは湖水浴場か)。駅からすぐのところにあり、列車内からもよく見える。ただし、今日は、雨の降る冬の日であるが。
 さて、京都が近づくと、この後の計画を立てる。新宮夜行に乗ることだけは決めているが、それ以外は、決めてこなかったのである。しかも、この天気では、列車から降りてもやれることが限られている。時刻表をめくりいろいろなプランを検討した結果、和田岬支線に乗ることに。ただし、この新快速が、神戸に着く頃には、まだ、和田岬支線の運転はない。和田岬支線は、朝・夕のみの運転なのである。
 まあ、そう言うわけで、時間が余ってしまう。それと、223系の乗り心地と寝不足が重なって、しばしば睡眠タイム。気づいたら、明石まで行っていた。別に、間違って乗り過ごしてしまったのではない。わざと乗り過ごしたのである。

 16:10
西明石
 16:15
   ↓ 790T 快速〔山陽本線〕 221系

 まだ時間的余裕もあるが、とりあえず、和田岬支線の起点である兵庫まで行っておく。明石海峡大橋の寄りである舞子も通り、明石海峡大橋も見てみるが、この天候のために視界が悪く、あまりいい景色ではない。前回来たときには、天気も回復していて(前回も京都付近は雨だった)、きれいだったのに。ところで、この区間は、先ほどの新快速でも通っているわけであるが、全く記憶がない。

 16:35
兵庫
 17:15
   ↓ 431D〔山陽本線〕 キハ35系

 兵庫駅を出て、駅前で食料・飲料調達などした後、17時過ぎに和田岬支線ホームへ。快速で到着した16:35頃は、改札が閉鎖されてホームにも行けなかったのである。日中は改札を閉めてしまっているらしい。
 さて、ここからは、キハ35系。以前は川越線・八高線でも活躍していた通勤型気動車である。ただし、ここのキハ35系は、兵庫・和田岬の両駅が同じ側にホームがあるため、反対側のドアは、撤去されて閉鎖されている。
 さて、和田岬支線は、工業地帯を行く通勤路線である。とりあえず、運転室のすぐ後ろでかぶりつき。ただし、5分間で行ってしまうような区間なので、あっという間といった感じである。
 ところで、このオンボロ気動車は、運転室扉にちょっと力を掛けると扉が開いてしまうような状態であった。運転中に、ちょっと力が掛かってしまったら、扉が開きかけてあわてて閉めた。

 17:20
和田岬

 とりあえず、和田岬で列車撮影。ただし、時間が時間なので、暗くなってしまいあまりいいものは撮れなかったが。
 ところで、ここが「岬」といった雰囲気は全くない。昔は、岬になっていたのだろうが、今は埋め立てられて、海側と思われる方向には、三菱重工などが立ち並んでいる。

 18:09
   ↓ 436D〔山陽本線〕 キハ35系

 帰る。まあ、それだけである。

 18:15
兵庫
 18:19
   ↓ 840T 快速〔山陽本線→東海道本線〕 113系

 夕食のために、大阪へ向かう。

 18:53
大阪

 阪急の新梅田食堂街で、お好み焼きを食べる。まあ、大阪と言ったら、お好み焼きでも食べなきゃ。
 食事の後は、やることがない。新宮夜行発車まではまだたっぷり時間があるし、暗くなってからどこかを乗りに行くこともないだろうし。というわけで、近くに見つけた紀伊国屋で立ち読み。Windows2000の勉強。ただし、荷物が重く途中で挫折。
 夕食が軽かったので(わざと軽めにした)、また新梅田食堂街に戻り、明石焼きを頂く。ただし、飲み屋であったが。旅行中のビールもいいものである。

大阪
 20:45
   ↓ 3252M 新快速〔東海道本線〕 223系

 新宮夜行の始発駅である新大阪へ移動。

 20:49
新大阪

 余裕もって着いたが、予想通り、並んでいる人はほとんどいなく、2時間、暇である。3回目の新大阪の駅周辺探索(新宮夜行乗るのが3回目だから)の後は、11,12番線ホームの待合室で暇つぶし。11,12番線は、優等列車専用になっているので、車内の様子とかをうかがうのは面白い。この時期は、シュプール号の運転もあるし。

新大阪
 22:45
   ↓ 2921M→6921M 快速〔大阪環状線→阪和線→紀勢本線〕 165系

 天王寺までは、がらがら。天王寺からは、土曜日と言うこともあって、平日以上に多数の客の帰宅列車となる。平日は、和歌山付近でほとんど帰宅客がいなくなるのに、今日は御坊付近までそういう客もいる。
 紀伊田辺到着のアナウンスがあると、トンネル内で停車。紀伊田辺って、トンネル内の駅だったっけなどと考えていると、まもなく、踏切障報装置が扱われたための停車であるとのアナウンスが入る。少しして、徐行をして問題の踏切に近づいていく。踏切前で停車し、運転士が車両から降りて、踏切まで行き動作を解除する。先頭車に乗っていたので、窓を開けてその様子を見物。
 踏切障報装置のおかげで目が覚めてしまったので、紀伊田辺での長時間停車中は、ホームに出てみる。紀伊田辺でホームに出たのは、今日が初めてである。マニアらしく人が切り離しの様子をチェックしたりしている。こっちは、車番をチェックしておく。ムーンライトながらの長時間停車の浜松や豊橋では、飲食物を買うための下車客が多いが、それとは対照的である。ムーンライトながらと新宮夜行では明らかに客層が違う。
 その後は、5時頃まである程度は寝る。新宮の手前は、海岸沿いの区間が多いのだが、今日はまだ外が暗くつまらない。

《2000/3/5》
  5:10
新宮

 恒例の、早朝営業の駅そばで、玉子入りうどんを頂く。「月見」と言わないところがポイントであろうか。
 暗くて、写真を撮るにはきつすぎるので、駅周辺を探索。駅の裏手の車両基地にも行ってみる。明るければ、駅から出て、反対側から撮影するのも良さそうであるという調査結果を得る。

新宮
  6:05
   ↓ 324D〔紀勢本線〕 キハ40系

 ここからは、キハ40系である。昨年10月の改正前は、キハ58系による運転であったが、キハ58系全廃によって、運用が変わっている。キハ40系でも、ワンマン改造こそされているものの、ボックス数はそれなりにあったので、無事、ボックス1つを占有。 ここは乗り慣れた区間なので、ゆっくり休む。新宮夜行から続けて、この車内も夜行の続きと言った状態である。

  9:33
松坂

 1本前の名松線は、4分前に松坂を出ているので、次の名松線まで、2時間待ち。乗ってきた324Dは、4分前まで名松線列車がいた5番線ホームに到着するという、最低のタイミングの列車である。
 とりあえず、駅の外に出る。松坂と言えば、松阪牛であるが、そんなものを食べるほどのお金があるわけがない。そんなことしたら、この旅行費用が2倍になってしまう。とりあえず、付近の踏切で写真撮影も試みるが、障害物が多くよろしくない。後は付近を散策。
 1時間位して、駅に戻る。駅構内での写真撮影の方がまだましである。荷物が重いので待合室において、駅構内を駆け回る。後で待合室に戻ると、荷物がない。少しした後、キオスクのおばちゃんが、置き引き防止のために預かっていてくれたことが判明。財布もカメラも18きっぷも持ち歩いていたし、盗られたとしても一番価値のあるのは鞄自体である程度であったのだが。まあ、お礼を言って、松阪牛の牛肉弁当1260円を購入。

松坂
 11:27
   ↓ 409C〔名松線〕 キハ11系

 やっと出発、名松線。この路線が、JR東海の最後の路線である。この路線を走破すれば、JR東海全線走破が完了するわけである。
 朝飯も早かったので、さっそく、駅弁を広げる。松阪牛とは言え、駅弁であり、焼いて甘辛く味付けしてあるだけでありそれほどのものでもない。近江牛のステーキ弁当の方がいいかな。
 早めの昼飯も終わり、唯一の交換駅である家城に着く。タブレットがあるのはいいとして、なんと、腕木信号もあるではないか。腕木信号を見るのは、初めてである。
 昼飯も食べたし、眠くなってくる。寝ちゃだめだ、と思いつつ、気づくと、伊勢奥津に到着。この時点で、JR東海全線走破が完了した。

 12:40
伊勢奥津

 折り返しまでに時間が長く暇である。とりあえず、駅の外に出てみるが、何もない。バス停があったのでそれを見てみると、名張までのバスはまだ当分来ないようである。なぜ、名張かというと、この名松線は、名張と松坂を結ぶという意味で、名松線とつけられたのであるが、結局、伊勢奥津までしか開通しなかったのである。今後の延伸はあり得ないと言って良いであろう。
 駅舎にあった「名松線ノート」にJR東海を完乗したことを書いていく。ノートを見てみると、他にも最後に、名松線で完乗したと言う報告もいくつか見られた。

伊勢奥津
 13:23
   ↓ 408C〔名松線〕 キハ11系

 ここからは、引き返すだけ。行きの反省を生かし、今度は、先頭部分に立つ。ワンマン構造の車両は、先頭付近がすっきりしていてよろしい。平行する道路は、幅が狭く、代替バスが通るのには苦しいことが伺える。そのために、名松線は廃止されずに残ったのである。
 もう少し行くと、線路に何かいる。運転士が警笛を鳴らし、何かが逃げていく。よく見ると、猿の群である。運転士によると、この辺はしばしば猿が現れるそうである。
 家城では、腕木信号などを撮影。家城の先は、平坦な区間になっていく。

 14:39
松坂
 15:07
   ↓ 408C 快速「みえ」〔紀勢本線→伊勢鉄道→関西本線〕 キハ75系

 松坂で団体客が並んでおり、さっさと着席はあきらめて、先頭部分かぶりつきする事に決定。快速「みえ」は、特急並にスピードを出すので、その運転操作は見ていて面白いであろうと思われるからである。
 早速、100km/hで爆走。駅が来ると、一気に制限速度までスピードを落とす。そのブレーキ操作がギリギリのタイミングでやっているので、かなりがんばっている。
 津からは、伊勢鉄道に入る。ここからは、高架線の整備された区間で、最高110km/hにアップ。まもなく、車掌が車内改札にやってくる。伊勢鉄道内は、18きっぷでは乗れず、別料金なのである。490円を支払う。
 関西線内に入ると、最高120km/hにアップ。単線区間と複線区間が入り交じり、その中を爆走するわけである。名古屋車両区が見えると、まもなく名古屋駅。一気にスピードを落とし、ノロノロ運転でポイントを渡っていき、名古屋到着。

 16:14
名古屋

 とりあえず、お決まりの駅きしめんを食べる。駅そば屋で、きしめんを売っているのである。またも、玉子入りきしめん。その後、セントラルライナーを撮ってから、おみやげに、ういろうを買って、晩飯として、駅弁も買う。数日前から登場したという、サーロインステーキ弁当1050円にする。

名古屋
 16:50
   ↓ 5116F 特別快速〔東海道本線〕 313系

 今回は、余裕を持って並んだので着席できる。休日のこの特別快速は、買い物帰りの客で混み合うのである。ただし、後ろに並んでいた客に先を越されて頭に来る。東京圏以外では、整列乗車のマナーが悪い。
 後は、いつも通り。

 17:37
豊橋
 17:42
   ↓ 952M〔東海道本線〕 117系

 ここも、いつも通り。

 18:19
浜松

 この停車時間を利用して、自動販売機へ。今日はエビスビールである。

浜松
 18:25
   ↓ 798M〔東海道本線〕 113系

 ここも、いつも通り。

 19:35
静岡
 19:36
   ↓ 366M〔東海道本線〕 373系

 1分の乗り換えの後、無事着席。早速、駅弁を広げる。今日はビール付きである。列車内でアルコール類を飲むのは、初めてである。サーロインステーキ弁当は普通。もちろん、近江牛のステーキ弁当には及ばない。
 富士での停車時間を利用して、編成をチェックしたら、後は、お休み。大船あたりまでうとうととする。

 22:40
東京
 22:44
   ↓ 2132A〔京浜東北線〕 209系

 説明不要。

 23:26
与野

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